切ないAV

精神面に起因する、性的嗜好の偏りに興味がある。そのきっかけになったのが、ある一本のAVビデオだ。友人の男の子に借り、確か友達と見るという名目のもと、ひとりでこっそり見たごく普通のビデオ。
女優が何人か出るオムニバス形式のありきたりなものだったが、その一番最後に出てくる女優さんを見た時、私の心が痛いっ!と悲鳴を上げた。彼女は色白で、髪型はザクザクしたショートカット、ぼんやりとした目つきが印象的だった。
彼女が全裸になった時、なんとなくその視点の定まらない目と、全身のあらゆる所に施されたスカリフィケーション。その二つの点が、彼女自身の思いの頂点へと繋がった。セックスの内容事態は非常にダラダラした、覇気のないものだったが、最後にインタビューが行われ、そこで彼女がしわくちゃになったベットの上で、無気力にこう言った。
「別にセックスが特別好きって訳じゃないけど・・・。どうでも、いいんです。昔から、別に自分がどうなろうとあんまり気にしない。」
その後、彼女は真っ黒い服に着替えた。細く、白い腕と非対称な大きめの黒いスウエットが、印象的だった。
自分を明かそう、そして、自分を隠そう、その二つが入り混じった混乱の果ての諦め、そして疲れ。なんだか切ない。
АVなんて私には切な過ぎる。女の子たちのあえぎ声が、必死な心の叫びに聞こえてくる。私は此処に居るんだよ。本当の私をむき出しにして。この、私を見て。そういう風に・・・。
その他にも、様々なАV女優さん達はたくさんいらっしゃる。その中でも、気になるのが、倉本安奈さんや、三代目葵マリーさん、卯月妙子さん。彼女達は主に過激な分野でお仕事をしている。ハードSM、スカトロ、同性愛。もちろんその内容はかなり徹底的だし、その言葉の一つ一つに、知的な感じを漂わせている。それでも、見ていて切なくなる。何がそこまでさせるのだろう?そこまでという言い方は失礼かもしれないが、心に沢山空いてしまった深い穴を、埋めるのではなく、覗き込んでいる様に感じるのだ。
覗き込んで、足を滑らせその穴に落ちてしまうんじゃないか?そんな危うさがある。しかも、鬼気迫った危うさではない。落ちてもいいや。という感じだ。だから辛い。これは私が勝手にそう思っているだけかもしれないが・・・。
セックスとは、究極の甘えである、と以前何かの本で読んだ。その甘えの根底は許しを乞う事だ。自分の汚いモノを許してもらう。幼い時から誰にも許されず、自分を否定され続けた場合、自分の汚いモノを許してもらえるセックスに反映されるのは当たり前の事だろう。だから、普通のノーマルなセックスも、アブノーマルなセックスも、基礎となるものは同じだと思うのだ。ただ、どこまで許して欲しいのか、どこまで許されなければ駄目なのか、その度合いが違うだけだ。
ビデオを見終わって、返しに行った時、男の子にこう質問した。
「なんか、最後に出てくる女優さん悲しくない?」
「え?なにが?別に、特に俺の好みじゃないから気にして見てないよ。」
ガッカリ・・・。やっぱ、そうだよなぁー。私の感覚でАVなんか見てても、萎えるだけだし。
それでも、私はセックスをしたらその相手の奥底を見ようと頑張る。途中から、そんな事は忘れてしまうんだけど、一体、この人はどこの部分が寂しいのだろう、何を許してほしいんだろう、と考える。分かった試しなんて一度もないんだけれど・・・。

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