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生きるっていうのは、ただそれだけですごい事

私は、自分が何者かを問い続けていた。一体自分は何が出来るのかという答えをもとめていた。結果は甘いお菓子の様に私を魅了していた。
人生とは何かを考え込んでいた。存在の明確さや、生きる事への重量を頭ではじき出そうとしていた。思春期特有のドラマチックな悩みに酔い、その状況設定を作っていた。いわば世界に多大な幻想を抱き、きっとその中で私はヒロインになり切れると漠然的に信じていたのだ。
私はある期間、生命のどん底を見た。私のどん底など結果たいした物では無かったのだが、命の淵をオママゴトの様に楽しんでいた。苦しみは快楽であった。幻聴や幻覚の世界はぬるく、居心地が良かったのだ。

今、私は真実の生命を感じる。そこで、まず葛藤が生まれた。
 生きる事は当たり前にそして絶対に苦しみ。
死に顔の安堵の表情は、蜜の様だ。 
では、なぜ人は生きるのだろう。こんなにも苦しい事が多いというのに。
何も分からない。だから私は続けてみる。
ある老婆が、夫の亡骸の横で、ぽつんとこう呟いた。
「死んだら、つまらんがや・・・。」
私、とりあえず生きるしかないんだろう。
生きる事とは、何だろうか?未だにその答えは見出せない。しかし、私は何だかもう、大きくなりたくて仕方が無いのだ。私は世界に散らばり、私の中で散らばる事実を受け入れていかなくてはならない。より確かに物事を許していきたい。覚悟をして私は人生を請け負っていく。
怒りや憎しみは自分を苦しめる。そして他人をも傷つける。
他人を卑下する事により自分を上に置く。その位置でしか自分の価値を見出せないという事はなんと哀れなモノか。
小さな世界でその価値観を決定づける事は非常に危険だ。できれば様々な人やモノを好きになりたい。そこから世界はいくらでも広がる。私はただ、こんな汚い小さな部屋で一人、何だか幸せだと感じる。可能性の波は頭の分厚いそしてもろい防波堤を崩す事ができる。私は感じたい。嘘っぽい、アンバランスなこの世界を、自身の感覚で受け止めたい。
私はただの私だ。それ以上でもなく、それ以下でもない。そして出来る事と言えば、許し、受け入れ、見ることだ。最終結末は嫌でも一度は必ず見る事になる。死という形で。だからそれまで、人生の意味や答えは、しまっておくことにした。今分かってしまえば、楽しみが半減してしまうではないか。

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