汚いとか、綺麗とか・・・

現代人の潔癖性に、だらしの無い私は肩身の狭い思いをしている。抗菌、殺菌、無菌に除菌。呪文の様に繰り返される。今の日本の経済は菌に支えられているのではないだろうか。全く有り難い話だ。ドラックストアで抗菌グッズを横目で見ながら、やりすぎだよなぁ・・・。と思う。何かを汚いと思う感覚が日本人には多い気がする。病的なほどに清潔を求める。そもそも、清潔さとは何だろうか。清潔感のある人が好き、なんて言うが人間誰でもお腹の中にはウンコがいっぱい詰まってんだぞ、と思う。
 汚いという感覚が物だけではない、人間に対しても人は汚いと思う。一緒の空気を吸いたくない、同じ物を使いたくない、触れたくない。抗菌を求めれば、求めるほど、人は他者との関わりにおいて生理的嫌悪を感じる。自分が出す物すら汚いのだから、それが他人ならもっての他だろう。もちろん可愛いわが子のたらすヨダレとは別ものである。
 他者への軽蔑には何処かに汚いという思いも含まれる。お風呂に入らない人は汚い。物を拾う人は汚い、穴の開いた服を着た人は汚い。私にはそれは汚いの思い違いであると感じる。私たちは汚いと思うやり方で差別をすることが往々にしてある。汚いと思うモノに触れようとはしない。そして簡単に何かを傷つける。汚いものには失う不安は伴わない。しかし、実際に汚いものなど身の回りには少ない、と私は思う。さっきまで使っていた割り箸。これを一度ゴミ箱に入れてしまう、その時点で割り箸は汚いゴミと変化する。もう、二度と口を付ける事はできない。汚さとはそれぐらい安易に位置づけされる。私たちは抗菌グッツを売る会社の企業戦略にまんまと踊らされているだけなのかもしれない。3月14日に女の子がチョコレートを買い漁るのと同じだ。
 清潔にすることは悪い事ではないが、その意識の過剰は最終的に私たち自身を追い込む。過ぎたるものは及ばざるが如し・・・。
 まあ、ところが、ですよ。これが不思議と大きく覆される行為があるじゃないですか。不思議なものだ。一番汚いものが、一番愛しく感じてしまうのだから。

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