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                  日常の正しい性
性、という言葉はどこか、アングラで、生々しく、隠されるべきものだ、と思われる。多分、性がもっと明るく、さっぱりしていて、オープンなものであれば、人は性にたいして胸の高鳴りを感じることは少なくなるだろう。
しかし、あたりまえだが、性とは特別なものではない。むしろ、日常だ。セックスとは、日常の中に組み込まれる事によって正しくなる、と私は信じている。だから、行き当たりばったり的なセックスも、寂しさからするセックスも、本当じゃない。と思いたい。相手に欲情するのは大いに結構だが、その欲情の欲の文字が消えた所で、しっかりとしたセックスが出来るのだ。だから、たまーにヤリタイ、とか、そういうのはただの欲にすぎない。欲というのは、薄っぺらい。時と場合によって変化しうるからだ。
セックスは生活の一部だ。毎日ご飯を食べるように、一年間、365日、毎日セックスをする自身のある人としか相手にしないほうが良い。
遊びではない。生きる基本だ。糧だ。暇つぶしに性を考えるなど、安易すぎる。死ぬ気でやれ、そうじゃなかったら、やるな。
あくまで、これは私の持論であり、世間において絶対的なものではないかもしれない。が、やるんだったら私はいつでも腹上死くらい考えている。
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